歴史は変わらない?



 歴史を変えないために
ゆには歴史を変えないために、過去の歴史をなぞっていたという。
歴史を変えないようにした理由は、本編中で語られているが、整理してみると以下のようになる。

ゆにが同じ歴史を辿る
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1月16日に衛星電話が繋がる
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衛星電話が繋がることで救助隊が1月17日に到着
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1月17日に飛行機事故のことが報道される
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優希堂悟(グラサン)はこの報道を見たことで、ユウキドウ計画の舞台を朱倉岳に変更
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朱倉岳をユウキドウ計画の舞台とすることで、朱倉岳で時空間転移が発生
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時空間転移により、こころ達を救い出すことができる


 2012年のゆににとっての2011年
ゆには、『こころ達が雪崩に巻き込まれて死んだ』という歴史を変えるために、危険を冒して避難小屋へと乗り込んできた。

だが、ゆには『歴史は変わらない』と言う。

2012年のゆにが体験した2011年では、『こころ達は雪崩に巻き込まれた』はず。
ならば、彼らを救い出したことで歴史は変わっているはずなのだ。

だが、ゆには言う。
あの新聞と雑誌はでっち上げたものだった……かも知れないと。

もし、あの新聞がゆにの仕業だったら、ゆにの体験した歴史はどんなものになるのだろうか?
おそらくサトル編グッドエンドのように、時空間転移によってこころ達が助かった歴史であった可能性が高いだろう。

しかし、ゆにははぐらかしている。
実際には、新聞は捏造されたのかも知れないが、されていないのかも知れない。

2012年のゆにが体験した2011年。
この答えはいくら求めても、決して得られることはない。

こころ達は雪崩に巻き込まれて死んでしまったのかも知れないし、
時空間転移で助かったのかも知れないし、
飛行機墜落の時点で死んでいたのかも知れない。

その他にも物語が破綻しないような結末ならば、いくつでも考えられる。

答えは不定なのだ。
一つに決まらない――これこそが、答えなのだろう。


 内海にとっての2011年
2012年を生きる内海は、『冬川こころは既に死んでいる』と言う。
そしてまた、『こころ達は雪崩に巻き込まれて死んでしまった』というような発言もしている。

当然ながら、内海は新聞や雑誌一つだけでこの事実を確認したわけではないだろう。
ならば内海の言っていることは事実であり、現に雪崩が起きていることになる。
これでは、前節での結論と矛盾しているのではないか?

だが、テラバイトディスクにより、その問題は解決される。

内海は、優希堂悟がDIDであるということをテラバイトディスクを通して知ったという。
ならば、こころ達が雪崩に巻き込まれて死んだということも、その時に知ったのではないだろうか?

とするならば、こころ達が時空間転移で助かったケースについても説明が行く。
時空間転移で助かった場合、内海達にとっては『こころ達は行方不明』なのだ。

あのような雪山で1年も行方不明であれば、死んでしまったと思っても仕方がない。
だが、テラバイトディスクを信じることにより、実は雪崩で死んでしまったのだと思い込んだのだ。

他のケースでも、同様に考えることが可能だ。


 多世界解釈と普遍なる歴史
歴史は変わらないかどうか。
だが、これを問うのは正直ナンセンスだ。

本編でも提示されているように、Remember11では多世界解釈が認められる世界。
プレイヤーがプレイした回数だけ、世界は存在するのだ。

だから、同一世界においての歴史は変わらない。
過去に戻って違う行動を起こせば、それはもう『別の世界』なのだから。

2012年にとっての2011年が一つに決まらないのは、そのためである。
2012年と同じ世界の2011年に戻ることはできない。

仮に戻れるとするならば、当時とまったく同じ行動を起こさなければいけない。
違った行動を起こせば、その瞬間に別の世界となってしまう。


 干渉しあう世界
ココロ編とサトル編は以下のように影響しあっていると、前に書いた。

ココロ編
サトル編
ココロ編
サトル編
ココロ編
サトル編
ココロ編
サトル編

ここでのココロ編、サトル編は、いずれも違う世界の物語である。
最終レベルでの転移を考えても、それは明らかだろう。

違う世界ならば、なぜ影響しあうのだろうか?
現に、ココロ編での情報がサトル編へと伝わり、サトル編での情報がココロ編へと伝わっている。

これはおそらく、プレイヤーあってのものだと考えられる。
世界同士を繋いでいるのはプレイヤーの記憶だ。
プレイヤーの記憶が、これから体験する世界を決めたのだろう。


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