ワタシという存在
Remember11には――
ワタシを殺す記憶の迷路
――という謳い文句がある。
この『ワタシ』とは誰のことを指すのだろうか?
本編で『ワタシ』という表現が使われたシーンが1箇所だけある。
それはココロ編2日目の最初のシーンだ。
無を感じる『ワタシ』。
『私』ではない『ワタシ』。
『ワタシ』とは一体誰のことなのだろうか?
少なくとも、『私』を使う冬川こころとは区別されるようだが……。
アイツという存在
グラサンが目の仇にしているアイツ。
アイツとは誰のことなのか?
TIPS88によれば、
アイツには時間の概念が存在せず、
点であり、虚無であり、0次元であるという。
そしてグラサンは、悟にアイツの記憶を移植したと言った。
そう、アイツとはプレイヤー、もしくは それに極めて近い存在なのである。
Remember11の物語の人物から見れば、プレイヤーは掴み所のない虚無のような存在、だが絶対的な存在であろう。
そして、プレイヤーを暗示している表現は本編中でも使われている。
特にいくつかのバッドエンドを迎えたとき、自分が肉体を抜け出して世界を静観している表現を見ることになるだろう。
これこそがプレイヤーの意識なのだ。
また、これらのプレイヤーの存在を暗示している表現は、ココロ編とサトル編の両方で使われている。
そう、『オレ』も『ワタシ』もプレイヤーの意識が反映された存在。
そして、それらを総括する意識こそが『アイツ』であり、『プレイヤー』なのだ。
EPRペアの示す意味
互いに影響しあい、不思議な運命を共有する双子の粒子――
それがEPRペアである。
時空間転移の原理説明と同時に、もののたとえにも使われている。
Level1の考察で、こころと悟がEPRペアのように絡み合うと表現したが、
正確には、『オレ』と『ワタシ』がEPRペアを形成していると例えられるのではないだろうか。
本編にはたびたび、『こころと悟は一心同体』という表現が用いられているが、それは当然のこと。
『オレ』も『ワタシ』も、元々ひとつの存在なのだから……。
ひとつなのがひとつのままでいるのとぉ、
ひとつなのが半分こになっちゃうのはぁ、
全然違うんだよ?
『オレ』も『ワタシ』も、元々は、一人のプレイヤーの意思なのだ。
赤受咸青
悟が悟として存在するためには、こころの存在が絶対不可欠。
その例えとして、本編では『赤受咸青』という表現が使われている。
これもまた、『オレ』と『ワタシ』の考えを使って捉えることができる。
『オレ』が悟として存在するためには、ココロ編でプレイヤーが悟の情報を知らなければならない。
ココロ編がなければ、サトル編での『オレ』は記憶を完全に喪失した状態になってしまう。
だから、こころがいて初めて、悟は存在できるのである。
うしろのしょーめんだーれ?
本編のかごめ歌。
Remember11におけるかごめ歌の意味は何なのだろうか?
サトル編3日目で犬伏が教えてくれた。
『かごめ』とは『篭女(妊婦)』のことで、この歌は赤ちゃんが生まれることの例えだと……。
だが、最後の『うしろのしょーめんだーれ?』。
この意味だけは教えてくれなかった。
『ほんとに誰なんだろうね……?』と意味深に呟くのみだった。
ここまで読んだ方は、それが誰であるのか薄々気付いているだろう。
後ろの正面にいるのは……プレイヤーだ。
こころや悟は普通、自分の視点から世界を見ている。
彼らにとって後ろの正面は、単純に後ろにいる人ではなく、テレビ画面を乗り越えた先にいるのだ。
だから、後ろの正面にいるのはプレイヤーなのである。
Remember11という物語で生まれた存在、それが『オレ』であり『ワタシ』である。
かごめ歌はそれを暗に示しているのだ。
また、ココロ編エピローグにおいて、こころは自分の事を『籠女』だと言っていた。
この真意は何なのだろうか?
単純に閉鎖空間に閉じ込められていたから籠女なのだろうか?
だが、『籠女=妊婦』と考えることで、こころの真意が汲み取れる。
籠女とは、彼女が胎児の人格を自分の肉体に宿していたことと、そして『ワタシ』を宿していたことを示しているのだろう。
さて、犬伏はかごめ歌の中で、その赤ちゃんは流産してしまったと言う。
犬伏は一体どういう意図でこのような解釈をしたのだろうか……?
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